私が現在奈良3区で応援をする国会議員の父であり元法相、文相などを務め、閣僚
経験のある政治家として最長老だった奥野誠亮(大先生)が亡くなられました。
戦前・戦中・戦後の動乱の時代に官僚から閣僚へ・・・
戦後の左翼勢力が渦巻く中
筋金入りの保守派として、当時から自主憲法の制定を唱えてた人物でもあります。
地方創生を訴え続け、あの地方交付金も大先生が作られたもので、あのお金で色々
な地方の財政が潤ったのが現実ですね!
先ずは産経新聞の記事抜粋より。
奥野誠亮元法相が死去、103歳 保守政治家の最長老
法相、文相などを務め、閣僚経験のある政治家として最長老だった奥野誠亮(おくの・せいすけ)氏が16日夜、老衰のため、東京都渋谷区神宮前5の7の10の自宅で死去した。
103歳だった。葬儀などは未定。
奥野氏は大正2年、奈良県生まれ。昭和13年に東京帝国大学卒業後、内務省入省。高知県警本部長、自治省財政局長を経て、38年に事務次官。同年、衆院議員に初当選(13回連続当選)。
文相、法相、国土庁長官、自民党安全保障調査会長などを歴任した。
官僚時代は、先の大戦末期、本土決戦や省庁の終戦処理業務に当たった。
占領期は地方税財政のエキスパートとして、連合国軍総司令部(GHQ)と渡り合った。
衆院議員として、派閥全盛の時代に無派閥を貫いた。
自民党総務局長を6期務めるなど「選挙のプロ」の顔があった。
歴史問題や憲法改正問題で筋の通った主張をした保守派の論客として知られる。
法相時代の55年8月、国会答弁で自主憲法制定の信念を披瀝し、野党が反発したこともあった。
国土庁長官だった62年5月には、国会で、
先の大戦について「
日本に侵略の意図はなかった」「
盧溝橋事件は偶発的」
などと答弁したことが批判され、閣僚を辞任した。
古都保存法の制定を推進するなど、奈良の平城宮の復元や明日香村の史跡保存に尽力した。「みんなで靖国神社を参拝する国会議員の会」の初代会長だった。
平成15年の衆院選に出馬せず、議員を引退。アジア福祉教育財団の名誉会長を務めていた。
平成27年11月には、東京・内幸町の日本記者クラブで会見し、戦後70年を経ても自主憲法の制定が実現していないことについて「いつまでたっても戦後は終わらない。そろそろ自前の憲法を作ろう」と訴えた。
長男は衆院議員の奥野信亮氏。二男は東大名誉教授の奥野正寛氏。
今の時代の感覚に合った人物で常に日本の国益を地元で説いてた人だったので
残念な人を亡くしました。
現在は息子である奥野信亮氏を応援してる訳ですが、
大先生の遺志を継ぎ保守の
リーダーとして頑張って欲しいものですね!
とにかく頑張りましょう日本人!!!